開運赤飯〜/神と民との契約
確定申告期日内になんとか申告も終えました。
日本ではお馴染みの、還付金。
払いすぎた税金が戻ってくる。
これって、海外の人たちからしたら(国によっては)驚きのシステムなのかもしれません。
「住宅借入金等特別控除」なんてものもあります。
このようなことが、なされてきた日本。
昔は精神性の高い民族であったと聞いたことがあります。
ーーーーーーーー
ここでちょっと、旧約聖書の出エジプト記より、神と民との契約…正式な呼び方はわかりませんが…。
驚くことに、その当時の生活に合わせ、円滑に生活できるよう、事細かに取り決めが支持されています。
モーゼの十戒って一度は聞いたことがあるのは⁉︎紀元前のお話です!
*悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。
*貧しい者に金を貸す時は、これに対して金貸のようになってはならない。これから利子をとってはならない。
*賄賂をとってはならない。賄賂は人の目をくらまし、正しい者の事件をも曲げさせるから。
その他、
*寄留の他国人をしえたげてはならない。
*もしあなたを憎む者のロバが、その荷物の下に倒れ伏しているのを見る時は、これを見捨てておかないように気をつけ、必ずその人に手を貸して、これを起こさなければならない。
などなど
その時代はまだ、学問や教育など普及しておらず、粗野で言うことも伝わりにくい民衆であったようです。且つ恐ろしく残忍な民族が、ひしめき合い、襲いかかってくるような状況下であったということ。
そんな中でこの掟は、非常に叡智にとんだものだったに違いなく、一方では特異な目で見られ、又は羨望から妬みをかっていたことでもあるようです。
少々厳しい表現と戒めは、その当時の民に、しっかりと浸透させるためだったのかと思いました。
他の宗教では、生贄なども当たり前のように、執り行われていたそうです。
神事についての事細かな指示も、精神性を育てる土台としての役割の他、素晴らしい芸術をもたらしたのではないかと、勝手に想像しています。
ーーーーーーーーーー
きっと多くの日本人は、仕事をしていくなかで、お金、生活の糧となるものを、きっちりと扱うよう、躾けられてきました。
税金も、それを預かる人との信頼関係のもとに成り立っていたんですね。
そのようなことが、先人たちの生き方から、構築されてきていたわけです。
まるで、民と神との契約みたいに。
知らなかったけど、恵まれていたのですね。
けれども戦後、経済成長にひた走るうちに、自然との共存、感謝、目に見えないものへの敬いは消え失せてしまいました。
そこから、物事の背後が見えない、我慢できない、わがままな私たちに。信頼関係、精神性の高かった民も、ついに骨抜きに。
税金の行方も…真に国民のために使用されているのかどうか…。
安く大量にの消費社会。
住宅地なども、自然環境を考えずに開発されているところが、少なくありません。
これは(旧約聖書的な表現で言うところの)
神との契約が反古になる
ということなのではないのでは…。
そんな現実ではありますが、たとえ私一人でも、目に見えないものへの敬いや自然を大切にした生き方を、貫いていきたいと思っています。
理由は単純。その方が幸せだから。
天のお目がねには到底かなわないのですが。
それに…ピオ神父のメッセージ
神の怒りは科学者を許さないが、心の人はそうではない。
イエスも
幸なるかな心貧しい者 天の国は彼らのもの
幸なるかな柔和なもの 彼らは地を受け継がん
そして…
スピリチュアリスト、江原啓之さんの本
昔、ちょっとした風水を取り入れた、ブログを書きたいと思っていました。
そのことを同僚に相談したところ、分厚い本格的な本を持ってきてくれました。
その本を見て思わず、当時韓国で空前の風水ブームと、テレビで報じられていたのを思い浮かべてしまいました。風水で相手を倒すだの、人より抜きん出るだのと、建築物にいたるまで、そんなことがなされている様子が紹介されていて…。
「そこら中、そんなんばっかりだったら、何をどう信じていいのか、わからなくなるよね。」
そう言ったところ、何と!かえってきた言葉が、
「おおっ、それはやっぱり、愛でしょ。」
パッと目の前が、明るくなったのを覚えています。
「じゃあこれは必要ないね」
そう言って、分厚い風水本を持ち帰って行きました。
上記、イスラエルの民と神との契約で、
*寄留の他国人をしえたげてはならない
とありましたが、そのような精神を保つのに大切なことは?
江原スピリチュアリズム。かな?
愛ある方向に向かっていかなければ。
分かっちゃいるが、これって難題。
自分自身が自立、自律していないと、相手を尊重することもできなくなり、お互いに不毛の憎しみを生むことになります。
新自由主義などと、盛んに言われているけど、きちんとした取り決めもないまま、拙速に押し進められているのが現状。
自分の家をパワースポットにして、心丈夫にしておきたいところです。
ちなみに、これは占いまがいの、本ではないですよ!
私は、スピリチュアリズム実践のための処方箋、と思っています。
|
バベルの塔
全地は同じ発音、同じ言葉であった。
時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。
〜
彼らは石の代わりに、レンガを得、しっくいのかわりに、アスファルトを得た。
「さあ、街と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時に天は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つでみな同じ言葉である。彼らはすでにこのことをし始めた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」。
ーーーーーーーーーーーーーーー
昨年、自宅で収穫感謝祭を行いました。
簡易的ですが、神様に収穫物をお供えし、お礼を申し上げました。
その日は大奮発して、はらこ飯に!
豪華じゃないけど…
感謝して食べられるって、幸せの食卓です。
ーーーーーーーーーーーーーーー
かくして、私たちは多様な言語、文化、芸術を発展させるに至った…ってことかな?
各国、地域の建築物や生活様式、文化、芸術、それはとても興味深いもの。
自分自身をも確立し、相手をも尊重できる、有効かつ素晴らしいコミュニケーションツールでもあると思います。
けれど、一方でそれを悪用している現実もあります。
…時に、グローバル化を仰ぐ昨今、
自身のアイデンティティはどこに。
何物をも もたらさない、ことにならなければいいのですが。
しかし、人間は本当の美を、簡単には捨てることができないものとも、思っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
旧約聖書にもあるようですが、初物を神様にお供えする習慣などは、それこそ洋の東西を問わず、いろんなところで行われているようですね。
行動から身を慎み、感謝を培う、これは知恵であると思うのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
こちらの児童書、「はじめての古事記」
私にとって難解で意味不明だった古事記を、わかりやすく、鋭い感性で解説してくださっています。
歳を重ねる毎に、解説に真理が宿っていたことに気付かされています。
古事記に登場する
大きな御殿を建て、その柱を廻りご結婚されます。
初めに産まれた大陸は、よくないものだったので、神様の仰せを受けにあがっています。
このことについて、
「神様に相談しに行くなんて、なんて素直なんでしょう」
このようなことが、書かれてあったと記憶があるのですが…。
とのコントラストで、この解説の意味が、少しわかってきたように思います。
つい最近気がついたことです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
お金や目先の情報に振り回されず、真にお金の使い手となりたいものです。
江原さんは常に、自律と自立、地に足つけてとおっしゃっていて、ふわふわした
メッセージなど、言ったりしません。
お金に関しても、清貧美徳 を推し進めるようなこと、していないんです。
一生懸命稼いだそのお金で、寄付したり、頑張っている企業の製品を買い支えたりもできるのだと。
「ならばその同じおかねを使って、天に宝を積め。」〜イエス
食料備蓄、災害に備えたい私。。
お金、入ってきて!祈!
農耕は世界最古の祈祷
天が与えたもう、大きな食卓。
大地も海も空も美しいものでした。
農耕は世界最古の祈祷とも言われているそうだ。
YouTubeで見つけた!アゼルバイジャンの農夫さんの動画が素敵すぎる。
鶏も犬もその他な動物も、そこら辺を仲良く歩いてる。凄い。
この人たち、きっと精霊みたいなものの声が聞こえている。(←ただの直感です)
物、金、地位、目に見える物の計りに餌付けされた私たちは、ことごとく自然に生かされている感覚が、退化してしまっている。
昔は、気候の変化や移り変わりを、よく知る爺さんが、地域で頼りにされていた。
そんなことを思い始めたのは、ほんの数年前。
入院生活を終え、近所の河原を散歩していた時だ。大地には春の芽吹き、そして空には鳥たちの鳴き声。
大地は毎年毎年、変わらずに命を育み、私たちに命の糧を与えてくれていた。
「いろいろ大変だったわね」
そう言って微笑みながら、新しく芽吹いた生命を、朗らかに育んでいる。母なる大地。
こんなに与えてくださっていたのに、私は汚すことしかしてこなっかった!
もう、慌てて生活を見直していったのです。
償いのはずが、そのことで、とてもいいご縁を頂くことができたのだから、なんともありがたいことです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
高校生の頃、「カラーパープル」という小説を読んだ。
スティーブン スピルバーグ監督で映画化されてもいるはず…もう30年以上も前の作品かな?
それはさておき、その小説の中に、こんな会話があった。
「神に感謝って言うけど、神に感謝するって、自然の風景や花なんかのきれいなものを見て、きれいだって思うことなんじゃないかな」
正確ではないが、こんなフレーズの言葉を発していた。
確か黒人で、もと娼婦という立場の方の言葉だったと記憶している。
生活の中に、神様だとか、信仰などということから、縁遠くなっていた時世。
遠く海を隔てた国では、たとえ娼婦であろうと、神というものを身近に考え、感謝していこうとしているのかと、感心させられたことがあった。
同じく、その遠く海を隔てた国、アメリカで、長く語り継がれている、シアトル首長のスピーチ。
父は空 母は大地 インディアンからの伝言 [ 寮 美千子 ]
- 価格: 1980 円
- 楽天で詳細を見る
ワシントン大首長へ
そして
未来に生きる全ての兄弟たちへ
…
ワシントンの大首長が 土地を買いたいといってきた。
…………………………
…………………………
…………………………
もしわたしたちが
どうしても
ここを立ち去らなければ ならないのだとしたら
どうか白い人よ
私たちが大切にしたように
この大地を 大切にしてほしい。
どうか いつまでも
一部分だけですが、本文より。
訳者である、寮美千子さんの後書き、『未来をつくる言葉』 この絵本を出版された思いが伝わってきます。
「大地と人との深い関わりを語る、シンプルでとても美しい言葉でした。」
冒頭部にこのように、シアトル首長のスピーチを紹介しています。
自然、大地に母性を見る…その感性は洋の東西を問わず、多くの人が感じていることのようです。
大地に生きるあらゆる生き物たちとの共生の思想、エコロジーを語る普遍的な言葉
である、インディアンからの伝言は、アメリカで長く語り継がれてれいるのだそうです。
是非読んで欲しい一冊です。
きゅうり…くる日もくる日も、きゅうり〜去年の夏から秋〜
きゅうり..くる日もくる日も..きゅうり
☆
☆
旧約聖書
出エジプト〜目指す地への旅の途上、砂漠の中で、天より日々 マナ(パン)が与えられる。
マナ、くる日もくる日もマナ。
(焼いて、蒸して、絡めて?)色々に調理し食してはみた。けれど、ああマナはマナ。
天より与えられた日々の糧も、それが当たり前になると、人は感謝を忘れてしまう。
そのなんと容易いことか。
確かそんなような内容が、犬養道子著 旧約聖書物語改訂版 にあった。
ご多分に洩れず、私もそうです。すみません。
昨年、我が家の畑は、暑かったからか?
はたまた、私の腕が悪かったからか?作物は不作でした。
そんな中、きゅうりだけは立派に育ってくれました。
きゅうり..毎日毎日ひたすら、きゅうり。。
ああ、きゅうり。
ありがたいが、うーん。
そんな時、上記の旧約聖書の内容が、ふと思い浮かぶ。
★気候変動甚だしいこのご時世、食べ物無駄にできない。★
塩揉みして冷凍。ポテサラ、付け合わせ、美味しくいただきました。
あとは...塩をまぶして放置。恐る恐る蓋を開けると…、いい感じで酸味がでていたので、お茶漬け、パスタ、タルタルソース!
令和4年 只今活躍中。
結構重宝しています♡
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回の続き…
「お天道様はみているんだよ」
今、この言葉を聞いて、どれほどの人が、受け止めてくれるんだろう。
「自然の恩恵を受け、生かされている。」
なにそれ?なんか、宗教に入ってる?
そんなふうに受け止められるのかな?
けれど、目に見える評価、計り、
地位や名誉、お金、物量だけを追い求めるのは、凄く苦しいものです。
若い時は特に、視野が狭くなりやすいし、それが自分を追い詰めることにもなりかねない。
それなのに、社会全体が、誰かをつぶしてでも、自分が得なければ とか、
こうしておかなきゃ、自分が潰される とか、
どうして、酷いことをしている人が、評価を得るの? など
こんなことばかりでは、とてもやるせない。
昔の日本には、そこかしこに、そんな やるせなさを救い出す、知恵があったように思います。
例えば 情けは人のためならず このことわざわざ。
人に情けをかけるのは、その人のためだけではなく、巡り巡っていずれ自分にかえってくる。
これって叡智。
そして、これは真実。
さすがに50歳手前まで生きてくると、そのことがよくわかります。
|
日本の水道、水の危機。この本を読んで初めて、日本の水道インフラがすごいことかわかりました。
それから、、水って、お金払って、蛇口から出るもの、って思っていたことに気づいた。
もともとは、自然の恩恵に預かっていたのに。
食べ物でもなんでもそうだけど、便利で手軽すぎて、物の背後のことに考えが及ばなくなってる。
いつの間にか骨抜きにされていました。
何年も前に出版された書籍ですが、今の世の中の問題が、そのまま!ありありと浮かび上がっています。
問題点を見つめ、自分が出来ること実践していきたい。
大切な人、大切なこと、見失いがちな今、是非読んで欲しい一冊です。
米粉の ラムレーズンならぬ日本酒レーズン パウンドケーキ
前回の投稿からだいぶ時間が経ちました。
私は最近、クリニックの先生(主治医)とのふとした会話を、よく思い出します。
その一つが
診察室に飾られていた絵画の話題。
先生のご友人の作品でした。
だいぶ前に、若くしてお亡くなりになったとのこと。
弔辞を述べる光栄に預かり、その言葉を聖書から引用したと言っておられました。
『人の幸不幸は、命の長短ではない。いかに充実して生きたかだ』
そんな内容だったかな。
若くして亡くなった人に対して、これほどの弔いの言葉はない。
「私はキリスト教でもなんでもないが、聖書には時々関心させられることが書かれている。・・・あれは嘘でも何でもない・・・。真実…、人間の、叡智。」
その言葉を聞いた時、私はとても嬉しかった。
イエス=キリスト教 と思っていたので、聖書もイエスについても何も知らなかったけど、それでも、今の世の中にある行き詰まりは、目に見えないものへの敬い、叡智がなくなってしまったからだと、思っていたので。
続きはまた次回。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
米粉の 日本酒レーズン パウンドケーキ
*
ラムレーズンをイメージして、うちにあった日本酒レーズンを作り、パウンドケーキに。
どうということはありません。日本酒に干しぶどうを浸し、2日くらい置いただけです。それをラムレーズンの代用にしています。
砂糖なしで作ってみました。
〜〜〜〜〜
すごく経済的に厳しい暮らしなのに、オーガニックライフ頑張っている。これがまた楽しい。無駄買いしなくて済むし、創意工夫がうまれてくるし。
"ならばその同じお金を使って、与えよ、施せ、助け合え、天に宝を積め。"
…だったかな。
イエスの言葉。
2000年以上も昔から、天下りみたいなものがあったのね。
仕えていたご主人に、自分が不正を働いていたことがバレる!ではどうしたら…。下僕として地道に働く…いやそんなことはできない。ということで、着々と取引のある人に貸しをつくり、天下り先を確保していくのです。まあ、自分が富むことに対して頭がいっぱいの方々は、利に対してすこぶる頭の回転が早いもの。そこで、上記の言葉が続くわけです。
これ、今の世に対しても、ものすごく有効と思うのです。
自分たちの都合で、法でも何でも変えられてしまう。なんともやるせない思いだけど、自分に出来ること、地道に行う。
今、寄付とかはできないけど、
何に支払うか、何を選択するか。どんな未来にしたいか。
We are making up a choice about the kind of world we want to live in.and the kind of agriculture we want to support.
たねと私の旅 より
#オーガニックカラー グルテンフリー#砂糖なし#米粉#オーガニック
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
|
江原さんも常々
「私はキリスト教者ではないが、イエス者です」とおっしゃっています。
困難を乗り越える知恵がたくさん!
|
今、SDG'sとかしきりにいわれているけれど、問題点などわかりやすく説明されているのは、この本!
すぐに取り組めること、考えることができます。
統合失調症経験者〜エピソード:退院
とても大変な入院生活だったのですが、いろんな方たちに助けていただきました。
強い薬を使用していることを、嘆いていた看護師さん。
私の退院を喜んでくれた人。
私と同じく、医療の方針に疑問を持ってくれた人。
…
本当にありがとうございました。
そして私は、自分に合ったクリニックに通うことができるようになりした。
紹介状もなく飛び込んだ私の話を、真剣に聞いてくださった先生。
その先生のおかげで私は助かっています。
ご高齢になられ、もうクリニックは閉じてしまうということですが…。
最後まで小さなクリニックの医師として、訪れた方々を送り出している先生の姿を、心に留めています。
「人は人の愛によって生かされている」
何をどう信じていいのか、分からなくなりそうなこの世の中で、先生が発したこの言葉はとても大きな叡智です。
生涯抱いていきたいです。
さて、今の私はこの病気を授かったことを、とてもありがたく思っています。
色々なことが照らし出され、たくさんの愛や、助けを感じることができたからです。
一方で、たくさんの方々にご迷惑をおかけしました。
本当にごめんなさい。
少し忙しくて、更新が滞ってしまいましたが、また更新して参ります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
統合失調症経験者のお勧め〜対処③
お勧め〜対処②で、退院し別の病院へ行こうと決意したところで終わっていたので、その続きを。
今では『セカンドオピニオン』などと言われる言葉がよく聞かれます。
そこの病院の診察室の前にも、「他の病院の診察を受けたい方は、お申し付けください」というようなポスターが貼ってあったので、真摯に話せば大丈夫と、まずは退院を希望しました。理由を聞かれたので、もう一箇所、別の病院を受診したいと申し出たのです。そこは、入院の設備はないが、以前受診したことがあるという経緯も伝えました。
「まずはここでもう少し治療してから」
「自分の意思だけで退院はできない」
「もしよかったら、上の先生ともお話ししてみて」
と、担当医は私の退院に対して渋ります。
入院したばかりの頃に、幻覚に振り回され、病院を出ようとした行為があったためかもしれません。
そこで、長期戦に挑むことに。
とにかく病院内での生活は、きちんと送りました。勿論、それまでも、問題を起こすことなく過ごしていたのですが。
そして薬は飲んだふり…つまり、拒薬しました。こともあろうに、精神科の病棟での拒薬です!我ながらよくやったものだと思います。でも、そこまでしないと、体が辛く、きちんと過ごすことなど、到底無理だったのです。
そんな病院での生活が、
1ヶ月半以上続いたでしょうか…。
ある日、同室の方が、
「あなた、どうしてここにいるの?なんで入院する必要があるのか分からない。」
と声を掛けてくれました。
私も退院したいこと、けれども先生がOKを出してくれないことなどを話しました。
それに対して彼女は
「家族を使いなさい」
それを聞いた私はこれぞ天からの言葉!授かることができたと、早速母に助けを求めました。
母を通して退院を願い出てもらい、無事に退院することができたのです。
退院する際、薬について、 薬剤師さんより説明がありました。
「●✖️△□〜のような症状があったらすぐに医師に知らせてください。そのままにはしておけない副作用の症状なので、点滴などでお薬を体から出さなければならないので…。」
表現は違えど、同じような症状を医師に訴えたのに、適切な処置をしてくれていなかったことに、その時初めて気づいたのでした。
何がなんでも退院したかった私は、何も言わずにそこを去りました。
まだ少し、書き足したいことがあるのですが、まずはここまで。
それにしても…これは私がある程度の狡猾さ、意思を通せる状況があったからできたこと、なんです。
自分で判断し、行動できる状況にない方も、たくさんいらっしゃるかと思います。
やはり家族…そうでなくても、誰かの愛情による手助けは、何より大切なのだと思います。
田舎者で、教養など、あまり身についていない私の母ですが、本当に助かりました。
母のような年代の方達は、得てして「病院の先生の言うことをちゃんと聞いて、しっかり治して」という考え方です。それでも娘の訴えに応じて、退院まで、見事に漕ぎ着けてくれたのですから。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
最近、話題になっていて、もうご存知の方も多いと思いますが…
240x240&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title="">
是非、読んで欲しいと思います。
私が、今すぐできる対策として、ユニクロ、無印、などの関連している企業からは、とりあえず購入しない。あと、そのような企業にウイグル人の犠牲のもとに、安く商品を提供することをやめてもらえるよう、訴えることかな、と思っています。このような実態があることを、知って欲しいです。何も知らなかった自分の無知さに腹が立ちます。
衣類でも、食べ物でも、石油製品でも、なんでもそうですが、人殺しさせてまで、贅沢をしたい、もっと安く手に入れたい、などとは、思えないですよね。
私は、あまり裕福ではないので、しばらく贅沢はできません。衣類は、真っ当なところから購入するのはお金がかかるし。それでも、工夫して彩りのある生活を送ることができています。
まだまだ幸せなのです。
けれど、このままでは、明日の日本も危ないと思っています。
千里の道も一歩から。どんな小さなことでも、実践していきたいですね!
こちらの動画もご覧いただけたらと思います。
映画「カンタ!ティモール」監督トーク 2011.1.16 京都