バベルの塔
全地は同じ発音、同じ言葉であった。
時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。
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彼らは石の代わりに、レンガを得、しっくいのかわりに、アスファルトを得た。
「さあ、街と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時に天は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つでみな同じ言葉である。彼らはすでにこのことをし始めた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」。
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昨年、自宅で収穫感謝祭を行いました。
簡易的ですが、神様に収穫物をお供えし、お礼を申し上げました。
その日は大奮発して、はらこ飯に!
豪華じゃないけど…
感謝して食べられるって、幸せの食卓です。
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かくして、私たちは多様な言語、文化、芸術を発展させるに至った…ってことかな?
各国、地域の建築物や生活様式、文化、芸術、それはとても興味深いもの。
自分自身をも確立し、相手をも尊重できる、有効かつ素晴らしいコミュニケーションツールでもあると思います。
けれど、一方でそれを悪用している現実もあります。
…時に、グローバル化を仰ぐ昨今、
自身のアイデンティティはどこに。
何物をも もたらさない、ことにならなければいいのですが。
しかし、人間は本当の美を、簡単には捨てることができないものとも、思っています。
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旧約聖書にもあるようですが、初物を神様にお供えする習慣などは、それこそ洋の東西を問わず、いろんなところで行われているようですね。
行動から身を慎み、感謝を培う、これは知恵であると思うのです。
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こちらの児童書、「はじめての古事記」
私にとって難解で意味不明だった古事記を、わかりやすく、鋭い感性で解説してくださっています。
歳を重ねる毎に、解説に真理が宿っていたことに気付かされています。
古事記に登場する
大きな御殿を建て、その柱を廻りご結婚されます。
初めに産まれた大陸は、よくないものだったので、神様の仰せを受けにあがっています。
このことについて、
「神様に相談しに行くなんて、なんて素直なんでしょう」
このようなことが、書かれてあったと記憶があるのですが…。
とのコントラストで、この解説の意味が、少しわかってきたように思います。
つい最近気がついたことです。
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お金や目先の情報に振り回されず、真にお金の使い手となりたいものです。
江原さんは常に、自律と自立、地に足つけてとおっしゃっていて、ふわふわした
メッセージなど、言ったりしません。
お金に関しても、清貧美徳 を推し進めるようなこと、していないんです。
一生懸命稼いだそのお金で、寄付したり、頑張っている企業の製品を買い支えたりもできるのだと。
「ならばその同じおかねを使って、天に宝を積め。」〜イエス
食料備蓄、災害に備えたい私。。
お金、入ってきて!祈!